人を賢くするのって、絶対に人生経験の数なんかじゃないと思う。
それは他人事をいかに自分ごととして置き換えられるかどうかの能力にかかっているのではないか。(本文より)
すごく久しぶりに読んだ山田詠美さんの本。
高校入試の時、私がのちに通うことになる女子校の過去問に
「風葬の教室」が使われていた。
高校入試の問題に(確か)高校教師を(無自覚に?)誘惑する女子高生が出てくる小説を使うなんて、なんて学校なんだろう...と思って、私はその学校に入りたいと思ったし、入学後も「僕は勉強ができない」をはじめとして、山田詠美さんの本をすごい勢いで読み漁った。
ちょっと分別?のつく大人になった時、彼女の物語とか文体がちょっとはすっぱな感じがして距離を置くようになった。
と、同時に彼女の世界観から離れてしまった自分もちょっとつまらないと思ったりして。
それでも「A to Z」なんかの無邪気な女性の恋の話なんかはやっぱり好きなので、
うーん、なんていうかな、昔は山田詠美と聞けば見境なく読んでいたのを選んで読むようになった。
今回のもそうかな。
久しぶりに図書館で見つけて、「兄を亡くした家族の話」。得意なジャンルではないけど読んでみたくなった。
今までのイメージにあったような独特の感じとはまたちょっと違って
とても優しい感じがして読みやすかった。
印象に残ったのは冒頭の引用文。
賢い、というのは人生経験の数じゃない。
どれだけ他人事を自分ごとに思えるか。
本当にそうだと思った。
ニュースをみていても他人事で冷めた目でみていたら
頭には何も残らないのと一緒。
常に自分だったら...って追体験していくことで
人間って成長していくんだろうなぁって、
私もそうありたいなって思った一冊でした。